文化・芸術

2009年12月 8日 (火)

作者の視点と叙述形式

~水木毅歩人「ミラレパの夢」をめぐって~

 この作品集に収められた四篇を見ると、それぞれ叙述形式が異なっており、作者の視点が微妙に変化して行くようにも見えるが、基本的には一人の日本人が見た現代人の諸相を、少し突き放した視点から冷静に描写したものと思える。

 作者は見たところ普通の日本人である。表計算ソフトでグラフィックデザインをやるとか、少し変わったところはあるが、私も色々お世話になっており、ごく普通の日本人だと感じている。(そしてこの本のカバーデザインも水木氏のコラージュ・アートによるものだそうである)

 また作品中には一人称で書かれたものもあるが、それも作者の言によると、直截的に自身の体験を基に書いたとか伝統的な私小説の範疇に属するようなものでは無く、独自の方法論により書かれたものであるらしい。

 現代人の多くは社畜になることを望んでいるかのようだ。或いは渋々、厳しい現実に妥協しているだけなのかも知れないが、所詮そういうのは車谷長吉氏流に言うと “働き奴”に過ぎない。そして現代日本においてはソフト会社や公的金融機関等で働く神経症気味の課長より、ホームレスの人の方がずっと魅力的なのだ。それが現代日本の現実である。作者はそうした現代人が直面する空虚で退屈な現実を厭と言う程、思い知らされて来た人なのであろう。だから「懈怠」は面白く読めるのだ。

 そして一見、水木毅歩人という作家の作品中にあらわれる奇妙な挿話は何の必然性も持たないように見える。だが、宗教的な色彩まで帯びたアンチロマン風の「弥勒」に於いて、カルトの世界同時革命の野望が、イルミナティの中心人物かオウム残党のような老人により、かなりねちっこく語られたり、カルトに操られているかのような“東署の息子”の悪業が暴かれて行く点等、大衆社会を背後で操る何者かのどす黒い意図を感じさせずにはおかない。

 また「ミラレパの夢」において、主人公の“私”が心神耗弱に陥って行く有様は、現代人が巨大カルト宗教や悪徳商法に蝕まれて行く過程の暗喩、という風にも解釈可能であろう。

 そして「不祥事史」を読むと、菅谷さん冤罪事件は起きるべくして起きたということが、大変良く理解出来るのである。また将来に亘って栃木リンチ殺人事件等にあらわれていた危険な兆候が、より深刻な問題を惹起する可能性への危惧が、率直に述べられてもいる。

確かにこれ等の散文たちはシュルレアリスティックな小説や卑近な現代史の如き体裁をとってはいるものの、優れてジャーナリスティックな精神により貫かれた作品群と呼ぶべきなのである。

(水木毅歩人-きぽじん-「ミラレパの夢」より転載)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%91%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E6%B0%B4%E6%9C%A8-%E6%AF%85%E6%AD%A9%E4%BA%BA/dp/4990499298

http://sinkan.net/?asin=4990499298&action_item=true

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2009年6月29日 (月)

解題 ~絵画の中のUFO

 遅れ馳せながら、ではありますが、このブログの一風変わったタイトルは、実は
水木毅歩人(き・ぽ・じん)というジャーナリスティックでブラックなユーモアセンスに溢れた小説家の作品タイトルなのです。その作は、それから改訂・改題されて別の作品に生まれ変わっているそうなので、これが小説のタイトルとして世にすがたを現す可能性は、もう無いでしょう。でも、ユニークなタイトルだと感じたので、借用した訳なのです。

話は変わりますが、比較的最近CNNが伝えたニュースに次のようなものがありました。
約20年前のUFO目撃証言を新たに公開 英公文書館
3月23日15時33分配信 CNN.co.jp
ロンドン(CNN) 英国立公文書館は22日、1987年から1993年にかけて国防省で記録された未確認飛行物体(UFO)目撃証言約1200件を新たに公開した。「宇宙人に話しかけられた」という女性の報告などが含まれている。
同省は昨年から4年計画で、UFO証言文書の公文書館への移管を開始。これに合わせ、すでに1970―80年代の文書などが一般公開されている。
新たな証言の中でも「異色の報告」として紹介されているのは、英南東部ノリッジで89年、宇宙人と遭遇したと主張した女性のケース。犬の散歩中、近所の運動場で飛行服姿の男性に声をかけられた。「北欧系」のなまりで、別の惑星から来たなどと話していたという。女性は約10分間の会話で「すっかり恐ろしくなり」、あわてて帰宅した。その途中、木の向こう側から大きな光る物体が真上へ上っていくのが見えたとされる。女性は翌日、地元の軍基地にこの「遭遇」を報告した。
今回の公開では、スコットランド上空で90年に撮影されたUFO写真について、国防省が各省に異例の状況説明を行ったことも明らかになった。大きなダイヤモンド型の物体で、上空に10分間ほどとどまった後、高速で上方へ去ったとされる。メディアが写真に注目することを想定して、対策を講じたケースとみられる。
国防省は通常、こうした報告を「敵国などによる領空侵犯があったかどうか」という視点からのみ検討し、「地球外生命が存在するかどうかに関心はなく、回答も試みない」との立場を取っている。
との事で、こうした問題について精神分析的視点からのみ批判を行い、否定的な見解を述べる方が容易いし、常識的だという誘惑に駆られはするものの、現時点においては未確認で訳の判らない現象があることは否定し切れない証拠も揃っているように思える。
また、UFOの目撃は今に始まったわけではなく、古くは、紀元前329年、アレクサンダー大王の軍隊が、空からやって来た二つの銀盤に何度も急降下され、軍の兵士や象、馬等の動物までがパニックに陥り、行軍出来なかったと、歴史家が書き残してもいる。 現代に起きた代表的事件としては
ワシントン事件(1952)がある・・・・・・1952年7月19日から27日にわたって首都ワシントンD.C.上空に68機ものUFOが現れ大勢の市民の目の前で飛び回り、ナショナル空港に着陸する旅客機を追跡、迎撃に上がったアメリカ空軍のロッキードF-94B戦闘機を取り囲んだりするという事件が発生した。この際、レーダーにもそれらしき反応があった。その後、アメリカ当局はこれを逆転層による気象現象と説明した。
一説にはロズウェル事件で墜落した、UFOから回収した通信機器がワシントンD.C.にある政府研究機関に運ばれ、通信機器をいじった際に信号を発信し、信号を傍受したUFOが飛来したと言われている。
http://www.ufo-station.net/news/index.cgi

ロズウェル 宇宙人解剖フィルム(ほぼ偽装だったことが確定)・・・・・・しかし、ロズウェル事件じたいは、ベルギーUFO事件と並んで、最も信憑性が高い事件とされているそうである。
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-39.htm

最初はFlying Saucer(空飛ぶ受け皿)1947年6月24日、アメリカの実業家ケネス・アーノルドが自家用機で飛行中、9個の飛行物体を目撃したのがはじまりである。そして
『空飛ぶ円盤』歴史年表の第2幕は、マンテル大尉事件である。1948年1月8日、アメリカ ケンタッキー州で『空飛ぶ円盤』が多数目撃された。そこで、ゴドマン空軍基地は、付近を飛行中だったトーマス F マンテル大尉の戦闘機隊に追跡を命じた。この戦闘機隊は、第二次世界大戦中の最高傑作P51ムスタング4機で編成されていた。マンテル大尉は『空飛ぶ円盤』を確認し、追跡したが、ぷっつりと連絡がとだえてしまう。その後、バラバラの機体とマンテル大尉の遺体が発見されたのである。公式発表によれば、マンテル大尉は金星を未確認飛行物体と見誤って追跡し、酸欠により意識不明に陥り、墜落したという。
 ベテランパイロットが、金星を追いまわしたあげく、酸欠で墜落?だますにしろ、もっとましなウソが思いつかなかったのだろうか?そもそも、P51のような優秀な戦闘機が、ベテランパイロットもろとも墜落したとすれば、撃墜されたと考えるのが自然である。いずれにせよ、これが歴史上初のUFOの犠牲者となった。

■ベルギーUFO事件■
 これまでに報告されたUFO目撃事件の中で最も有名なものの一つが、1989年11月29日に起こったベルギーUFO事件である。たいていの UFOの写真や映像は、誰も見ていない場所で、こっそりと撮影されたものである。よって、初めから信用するつもりの人以外は、誰も信用していない。ところが、この事件は数万人に目撃されたのである。
 先ず、「数万人が互いに友人関係」はありえないので、インチキの口うら合わせができない。しかも、彼らの証言が一致したとすれば、信憑性は極めて高くなる。また数時間という長い観測時間もポイントだ。一瞬の目撃なら見間違い、勘違いもあるが、長時間観測したとなれば、その可能性は低い。このベルギー UFO事件は、書籍、テレビを通じ世界中に報じられた。むろん、日本でもテレビ放映されたが、ベルギー空軍の将校が、苦しげに怪現象を説明する姿はひどく痛々しかった。・・・・・・
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-38.htm

米トップ学者、UFO墜落の事実を認めるhttp://www.gasite.org/library/ucon92/index.html
これについても
詰まるところインチキ臭い話という感じはしますが、しかし完全には否定し切れない部分も確かにあり、自分としては20世紀科学史における最重要人物の一人であるフォンノイマン博士の仕事との関わりが気になるところです。
・・・フォンノイマンが、何故死の直前まで、軍部から国家機密を喋らないように監視されていたか(しかも、もしそれを喋ったら射殺しろ、という命令まで出ていたらしい)その理由が核爆弾製造に絡む話ばかりではなく、そうしたインチキ臭い話とも関連があったのではないか、と想像したりした事もあったのですが・・・・・・。
 また、話を小説「地球という・・・」に戻すと、その作品の出発点としては、UFO現象をネタにした小説だったそうです。書き始めた時はラエリアン・ムーヴメントを知らなかったのが、後になって自分が書いていた事と似たような内容の教義を信奉する宗教が現実に存在することを知ってやる気を失った?・・・・・・本当はもっとその問題に深入りしたかったのだが、時間的制約もあり、随分早い段階で追求を諦めてしまったとの事です。それに、元々そうした問題に対して寧ろ懐疑的であった為、人が噂とか、怪しげな幻想なんかに騙され信じさせられて行く、(マインドコントロールに掛けられて行く)過程を描く方向に転換することになったそうです。(だからどちらかと言えば、)心理的SFとか、そうした方向に行ってしまったと、彼は語っていたのです。

それからユングの本などを読んでいると、逆に現象自体は単なる嘘と思えなくなったりもしますね。
それから、変な写真だとは思いますが(やはり変な話にしか思えませんけど)、ベトナムに墜落したUFOから宇宙人の死体が回収され地域住民の手で手厚く葬られたという内容を伝える”UFO目撃後に宇宙人の死体発見!”というページも発見しました。
http://rocketnews24.com/?p=2022

最後に何世紀も前の宗教画(絵の中にUFOが描かれているように見える作品群)を御紹介致しましょう。
a)受胎告知 1486年 ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
イタリア カルロ・クリベリ
クリベリ唯一の「歴史画」とされる。アーチの下には、上を見上げる人、その上のバルコニーでは要人が伝書鳩のもたらしたしらせを読む姿があるという。右側の部屋の処女マリアに対して上空のUFOから受胎告知のメッセージが届けられる。
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/shukyouganoufo.htm

b)サンタ・マリア・マジョーレ聖堂の建立
1430年 フローレンスのマゾリーノ・ダ・パニカーレ 国立カポディモンテ美術館蔵
雲上の光輪の中にはキリストと聖母が祝福を与えている。サンタ・マリア・マジョーレ聖堂の建立に関する神秘的な縁起伝説を描いたものである。教皇リベリウスが鍬(くわ)で寺院のプランを跡づけ、それを聖職者や市民たちが見守っている。
しばしばUFOは雲としてあらわれる。雲に乗ってあらわれたキリストと聖母マリアは暑い夏に雪を降らして、サンタ・マリア・マジョーレ聖堂の建立の位置を示したと言われる。
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/shukyouganoufo2.htm

c)十戒を受け取るモーセ:十戒の石版を受け取るモーセの遠方にUFOの編隊が描かれていた ベルギーComte Dotremond所有
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/c%20christufo7.htm

d)イタリア フィレンツエ ヴェッキオ宮殿「聖母と聖ジョバンニーノ」 フィリッポ・リッヒ(1406-69)作
聖母マリアの左肩上に、確かにUFOらしきものが描かれている
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/d%20christufo15.htm

e)フランスの画家アート・デ・ゲルダーの作「キリストの洗礼(キリストのパプテスマ)」Aert de Gelder (1645-1727)
キリストの洗礼:上空の「鳩」ならぬ「UFO」から光線が照射されている
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/e%20christufo9.htm

f)パウロ・ウッチェロ(1397-1475) 十字架上のキリスト像の右下に天国からの神の使いと考えられていたUFOが描かれている
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/f%20christufo6.htm

g)17世紀のフレスコ画:十字架のキリストの両脇に2機のUFOが描かれている。そのUFOを拡大すると顔が中に描かれていた。
中世の絵画に描かれたUFO
イタリア モルタルチノ 聖ペトロ教会のルネッサンス時代の絵画
1595年ボナベントウラ・サリンベーニ作「三位一体」
2本のアンテナ持つ丸い物体が描かれており「人工衛星 スピートニク」を思わせる
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/g%20christufo2.htm

h)14世紀フランス ノートルダム 聖母マリアを描いたタペストリー(下の2点)双方の絵には同じ形のUFOが空に浮かんでいる
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/i%20christufo12.htm

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2009年6月26日 (金)

武満徹と日本の現代音楽入門

 実は自分は現代音楽ファン(少々ミーハー気味の)です。よく難解で理解し難い音楽と言われ、敬遠されがちなのは判りますが、それは現代音楽というクールな書庫の中にも優れた美しい作品がたくさん眠っていることがあまり世間に知れ渡っていない所為ではないかな、と思っています。また自分の耳というのは恐らく50年後、100年後の聴衆に近いのじゃないだろうか、と自惚れていますが、そういう子供の頃から比較的無調音楽に抵抗無く親しんで来た自分が(一世紀後にも、きっと忘れられずに聴かれているに違いないと)予感する現代日本の代表的な作品を以下に挙げてみようと思います。

武満徹『遠い呼び声の彼方へ!』『地平線のドーリア』『妖精の距離』『ノヴェンバー・ステップス』『虹へ向かって、パルマ』『セレモニアル』『マイ・ウェイ・オブ・ライフ』『ジェモー』『鳥は星形の庭に降りる』『カトレーン』『ファンタズマ/カントス』『波の盆』『砂の女』・・・・・・北爪道夫『映照』 黛敏郎『<<涅槃>>交響曲』・・・・・・

 他にもまだまだ優れた作品が存在することは承知しております。これ等はあくまでも自分が時々思い出したようにCDケースから取り出して聴く、珠玉の数曲を挙げたに過ぎないのです。・・・・・・

 話は変わりますが、どこかの板に、次のような気になる投稿を発見。(ええっ、そうだったの??_)「東京コンサーツはいろいろな新興宗教団体の集大成だ!! 池辺晋一郎は創価学会系とばかり仕事をしている。 伊佐治直、佐藤紀夫、安良岡兄弟、中村明一、など長木 水野みか子、柿沼敏江等ほとんどの批評家が創価学会の会員。 伊福部昭立正佼成会、黛敏郎阿含経、 武満徹世界教世教などなど、、、」・・・池辺にしても共産党員のくせにSG貝と仲が良いってのは、
どういうこっちゃ?わけわからん。
もう少し事情を知ってる人がいたら説明を希望。

、、、という話も。しかし世界教世教という宗教は存在しません。救世教のことかな?でもそこの信者に聞いてもピンと来ないようで、しかも武満さんがまだ生きてるように思っているみたいだった・・・・・・なんかヘン。

現代音楽界と新興宗教団体の関係 http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1239698718/l50

また最近、立花隆「武満徹・音楽創造の旅」、未刊の謎(※)という驚くべき一文を見つけました。引用します。武満氏死去の前後、『文学界』に異変がおきています。それまで同誌に登場することさえなかった浅田彰が、「文学界新人賞」の審査委員に就任しています。詳しい年月日は覚えていませんが、95,6年頃だったはず。武満氏の死後さらに顕著になったのが、柄谷・浅田がしばしば同誌に登場しはじめたことです。浅田はもともと文芸誌などからはお呼びもかからなかったわけですが、柄谷はもっぱら「群像」専門でした。たまに「すばる」に出るぐらい。それが突如として『文学界』にも進出。もちろん武満氏の死去にのみ関連する動きではなく、すでに拙著やホームページでも詳述してきた、文壇制覇戦略の一環です。これまでも文壇関係者の怪死者を数々確認してきましたが、その害が及んでいないがゆえに、立花氏までもが柄谷・浅田の標的にされていたとは考えもしませんでした。しかし、柄谷・浅田は、立花氏までをも標的にしていたと、声を大にして断言します。立花氏の場合は、生かして利用するというやり方です。 利用の最大の要諦は、立花氏の仕事を、柄谷・浅田の領分を侵さない範囲に限定すること。立花氏が音楽分野にまで仕事の場を広げたならば、柄谷・浅田、とくに浅田の暗躍する余地がなくなってしまいます。それを恐れた二人の汚い工作が、武満氏の死後の諸々の動きです。武満氏の死後間もない時期に、このインタヴューが本として刊行されたならば、立花氏の評価はこれまでとは位相を異にするものになったはず。しかし、東大客員教授として立花ゼミを開講したことが、結果として物理的な障害となり、刊行を阻害した。しかもかなり評判を呼んだ立花ゼミは、2年で閉講。その後も開講される動きも見られない。それどころか、立花氏の「科学的知識の杜撰さ」を批判する本や噂までが流される始末。批判は自由だし、専門家ではないがゆえに欠陥は捜せば出てくるだろうとは思われますが、これらはすべて連動した動きです。立花ゼミは、柄谷・浅田の盟友でもあった蓮実重彦氏の学長時代に開講されました。インターネットを使って講義が学外にも配信されました。また学生が協同で編集した本が出版されるなど、立花ゼミは大学外にもその活動を広げ、話題を呼びましたが、98年に閉講。この年は創価学会が政界のみならず、文化分野でも覇権を打ち立てた年にもあたります。 立花氏は以降、評論家として著作に専念され、何冊も新著を出版されているにもかかわらず、「武満徹・音楽創造の旅」は出版されずにいます。・・・・・・このおそるべき事実に立って武満氏の死を振り返るならば、柄谷・浅田の周到な計画殺人ではないかとさえ思えてきます。

http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.editor-shop.co.jp/booklet9-2.htm

※立花隆氏の文章「武満徹・音楽創造の旅」は雑誌『文学界』に1992年から1998年まで連載された。(文藝春秋社)小学館「武満徹全集第2巻」に収録されているそうです。(しかし単行本での刊行は今のところない様子)

サイトウ・キネン・フェスティバル 松本:プログラム 武満徹メモリアルコンサートXIV 2009年8月22日(土) 開演:19:00 料金:\4,000 (全席指定) 場所:ザ・ハーモニーホール

作曲家・武満徹が他界した1996年に始まった武満メモリアルコンサートでは武満の室内楽作品を中心に、彼の合唱曲・映画音楽などが演奏されてきました。また近年では武満の作品のみならず、日本の若手作曲家たちの作品も取り上げ、今までに細川俊夫、野平一郎、権代敦彦、藤倉大、江村哲二らの作品が演奏されました。 今年は武満作品の他に、武満メモリアルコンサートではもうお馴染の作曲家、猿谷紀郎の「すさのつらなり」と、第57回尾高賞を受賞し、その活躍がますます期待される原田敬子の「消失点Ⅱ-b」が演奏されます。また今回演奏される武満の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」は1989年、ヴィオラの今井信子とケント・ナガノ指揮 パリ管弦楽団によって初演されたヴィオラ・コンチェルトを、武満の死後、今井信子の依頼で作曲家の細川俊夫がピアノとヴィオラ版に編曲したものです。

http://www.saito-kinen.com/j/program/takemitsu/

最後に印象に残った、消えた投稿群から・・・・・・

世界的な現代音楽・映画音楽作曲家

武満徹Music for Movies: Toru Takemitsu というDVDをアメリカのショップから購入しました。実は同じソフトを、むかしVHSでも買ったことがありました。 何故こうした素晴らしい作品が日本版で発売されないのでしょうか?日本が生んだ優れた芸術家であるにも拘らず、です。大江健三郎がノーベル賞を受賞しましたが、20世紀の作曲家全体の中で彼の占める位置は現代文学の中の大江よりずっと大きいものがあると思います。また現代の作曲家、映画音楽作曲家として世界的に認知されているのに、日本国内の知名度はずっと落ちるようにも思います。それには何かインチキ臭い裏があるのでは、と感じる程です。たとえば13年前に彼が亡くなった時、FM東京やNHKは追悼番組を放送しましたが、J-waveのような放送局は無視していたように思われます。日本経済新聞等で死後彼の話が取り上げられる時に垣間見えるのは守旧派・保守層の胡散臭い妬みのような感情です。マスコミが作り上げた現代の大衆社会・若者文化(個人の趣味?)というのが何か非常に狭い枠の中に閉じ込められてしまっていて、世界レヴェルの真っ当な文化受容からは遠くかけ離れて行っているように思えるのですが。

遠い呼び声の彼方へ!

自分が武満さんの作品で一番好きなのは、『遠い呼び声の彼方へ!』です。晩年に書かれた作品には、『マイウェイ・オブ・ライフ』とか、一般ウケしそうな曲も多いと思います。 勿論、映画音楽の方でも、黒澤映画『どですかでん』『乱』や『砂の女』を初めとして素晴らしい作品がたくさんありますけど。

リージョンフリーDVDプレーヤー最近はリージョンフリーDVDプレーヤーも、送料込み3千円台で買えるようですし。どなたか知りませんが在米時にTVで見られたそうなのですが、同感なので引用します。

「日本が世界に誇る音楽家、武満徹氏の音楽観人生観を見事にとらえたドキュメンタリーです。 アメリカにいた時にケーブルで放映しているのを偶然見たのですが、本当に素晴らしい作品で 心から感動したのを覚えています。また、見たいのですがリージョンが1なので、国内版を発売して頂きたいです。 日本人なら必見の一本です。 音を構築していく作業を、枯山水の構築に例えていたのがとても印象的でした。 」(Amazonカスタマーレビューより引用)

50年後・100年後の武満徹 

日本の音楽教育のまずさ、というのもあるかとは思うが、そもそもベートヴェンやバッハの音楽を愛する日本人が今どれ程いるだろうか、と考えてみると世界でトップレヴェルの現代音楽作曲家の名が然程知れ渡っていないからと言って、特に不思議に思う事もないのだろう。それは海外でも同じで、欧州のどっかの国で(コンビニに深夜買いもしないのに)若者が屯するようになって困っていた経営者が、ベートーヴェンの曲をBGMで流すようにしたら、招かれざる客が寄り付かなくなったという話からも事情は何処も似たようなものだと窺い知れる。 しかし恐らくクラシック音楽は不滅であろう。じり貧になっても細々と継続して行くことが予想される。そこで50年後、100年後に武満徹がどのような扱いを受けているかと想像してみる。 自分が思うに、彼はベートーヴェン、ブルックナー、マーラーといった作曲家たちにひけをとらない存在になっていると思う。小学校の音楽室にベートーヴェンやシューベルトと並んであのいかめしい遺影が飾られている可能性は高いと感じる。例えば現代音楽の作曲家で、ブーレーズのような人のかいた音楽が100年後も、今ほど多くの人に頻繁に取り上げられ論じられ続けているかといえば、そういう状況はちょっと想像しにくいのである。何か20世紀の、あるスタイルの典型的なものという扱いは受けるだろうけど。 それに較べれば武満徹は世界全体で見ても、20世紀の優れた作曲家たちの中で、メシアン、ペルト、ライヒ、リゲティ、シェーンベルク、ベリオ等と並んでこの時代の代表的な作曲家という扱いを受けている可能性が相当に高いのである。今にしてもう既にそうだと解釈してもよいのだから。もっとも後世になると芸術音楽も大衆音楽も区別なく、ビートルズやニーノ・ロータやピアソラも同じように愛好されている可能性はあるのだが。

率直な話・武満の真相

・映画音楽や芸術音楽だけじゃなく、ポピュラー音楽、(それもとびきりの)歌謡曲でも大家だったんですね。 たけみつなんて、所詮、とある歌謡曲の大御所のゴースト作曲家。という風に書かれていた・・・ 武満さんとは近所でした。(隣町ね) 意外と質素な生活だったようです。 多摩湖湖畔の小さなアパートにお住まいでした。 http://music.2ch.net/classical/kako/997/997890042.html

『マイ・ウェイ・オブ・ライフ』(シャトレ座) DVDライブラリーより。

「パリ・シャトレ座プロジェクトⅡ」と銘打たれた東京での公演のライブ映像。1996年に惜しくも亡くなった作曲家、武満徹氏の代表的作品を基に、氏が念願しながらついに成し得なかった〈オペラ的なるもの〉の夢を再生しようとした試みである。ちなみに、現シャトレ座総監督ジャン=ピエール・ブロスマンは、前職のリヨン・オペラ座支配人当時、武満氏にオペラを委嘱した経緯がある。この舞台は、そのブロスマンや、そこでコンビを組んでいた指揮者ケント・ナガノたちからの武満氏へのオマージュである。プロダクション初演は2004年10月ベルリン州立歌劇場、パリ公演が2005年1月だった。全体は明確なストーリーを持たないが、死を前にした孤独な老女が自分自身の人生を回想するという大まかなラインの中で、夢幻的な世界が展開していく。宇宙人みたいな小人、ぬいぐるみ、ポップな少女たちなどを繰り出しながら、暗く、内省的な舞台をムスバッハが作り上げている。登場してくる音楽は以下のとおり。「弦楽のためのレクイエム」、「ノヴェンバー・ステップス」、「マイ・ウェイ・オブ・ライフ」、「系図~ファミリー・トゥリー」、映画『他人の顔』よりワルツ、そして武満氏が作曲家を志すきっかけとなったシャンソン「Parlez-moi d'amour」や「想い出のサンフランシスコ」といった曲、等々。 ★★★

少女:メラニー・フーシェ女優:ジョルジェット・ディー老女:クリスティーネ・エースタラインバリトン:ドウェイン・クロフト 尺  八:三橋貴風琵  琶:田中之雄打楽器:山口恭範ギター :鈴木大介合  唱:東京オペラシンガーズ管弦楽:ベルリン・ドイツ交響楽団指  揮:ケント・ナガノ美  術:エーリヒ・ヴォンダー 衣  裳:石岡瑛子 照  明:アレクサンダー・コッペルマン演  出:ペーター・ムスバッハ共同制作:ベルリン州立歌劇場 [ 収録:2005年4月14日、東京文化会館大ホール ]

すべての因襲から逃れるために〔対談本〕 

むかし珍しく掲題の対談集を買って読んだことがあったのですが、そこに登場したのがラトルやバルエコといった、当時はまだ新進の才能豊かな音楽家たちでした。その後彼らは順調にビッグネームに育って行ったこと(ラトルなんか、”サー”がついてしまった!)は周知の通りで、そうした気鋭の若い演奏家たちと対談に臨まれた武満さんも決して因襲に囚われる事の無い、また良い意味で”若さ”に満ち溢れた方だったと思います。今その本は手元に無いのですが、対談相手の一人が武満さんについて、まるで十代後半の少年のように見える、と冗談混じりに語っていたのが印象的でした。そしてそうした芸術家としての感性の瑞々しさを最後まで持ち続けておられたのは驚嘆に値します。 またシネヴィヴァン六本木開館時に蓮實重彦(当時は妙な映画評論家、仏文学者としか見えなかったのが、その後東大総長になってしまった)とタルコフスキー映画について対談したり、対談本がベストセラーになった盟友小澤征爾もニューイヤーコンサートの指揮者を務めるまでになった(これは本当に凄い事で、ウィーン・フィル最後の常任指揮者クラウス以来、1939~2009年迄で、指揮を務めることが出来た指揮者は14人に過ぎない。ショルティみたいに本人が希望しても叶わなかった大指揮者もいた)・・・と、周辺の方々がその後驚くべき出世をしているのも大変興味深い話で(周囲は逆に因襲に捉えられてしまった!?)きっと百年後には黒澤監督はじめ同時代の芸術家・文人たちに取り巻かれた中心人物のように見えるのではないでしょうか。

作曲のゴーストライターは普通に存在します

作曲のゴーストライターは普通に存在します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127686557

墓の下を刳り貫いて作った某スタジオでは、時々原因不明の怪しげなノイズが出る、これはお墓の祟りじゃないか?・・・・・・中にはビッグネームの先生よりも、ゴーストの方が格段実力が上の場合も、少なくない。 「今度の曲、ちょっとひどくない?」 「いや、実は今回は先生が書いたのよ」 「…」 なんて話も、時としてあるとか。 http://homepage2.nifty.com/7m1lot/g_writer.htm

武満徹のエラボレーション

大江健三郎 講演「武満徹のエラボレーション」 2001年2月22日、武満徹没後5年特別企画「夢窓」の一環として東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアルで開催された、『講演と室内楽演奏会「音と言葉」』における、大江健三郎氏による講演の原稿(全文) http://www.operacity.jp/concert/2000/dw_oe_lecture.php

日本初のミュージック・コンクレート・・・黛が、内幸町にあったNHKで電気回路と格闘しながら「素数の比系列による正弦波の音楽」を作っていたのと同時期、25歳の武満徹が、日本初のミュージック・コンクレート「ルリエフ・スタティク」を作成している。こちらは新日本放送、現在の毎日放送がスタジオと技術者を提供した。 物量主義のNHKに対して、ちゃんと民放が同じ時期に対抗して似たようなことをしていたのである。 「ルリエフ・スタティク」は最初、芸術祭参加ラジオドラマ「炎」の劇伴音楽だった。 できたばかりの民放ラジオ局が劇伴にミュージック・コンクレートなどという新しい手法を使おうとした背景には、当時の民放はどこも最新鋭のテープレコーダーを導入していたという事情があったらしい。つまりスタジオをたくさんもつNHKは生放送で放送を続けることができたが、後発で規模が小さな民放局はすべての放送を生でまかなうことができなかったのである。 そこで民放各社は、出始めたばかりのテープレコーダーを導入して対処しようとした。テープレコーダーがあるならいっちょ最先端のミュージック・コンクレートをやるかとなって、無名ではあるが実験工房で注目を集め始めていた武満に声がかかることになったようだ。 ちなみに、NHK電子音楽スタジオは1993年にその幕を閉じている。スタジオの主的存在だった技術者の佐藤茂が1992年に定年退職となったのをきっかけに、「あんな儲からないセクションは閉じてしまえ」ということになったらしい。 佐藤の証言:「ああいう電子音楽をNHKの中で残そうとするには、相当努力しないと残らんでしょう。3ヶ月も使って売れない曲を作ってたら、商売にならんからいらないって言われるでしょうね。佐藤がいるんだから歴史があるからって、いる間は残しとけってことだったけど、いなくなったらあっというまに潰しちゃった。」(「電子音楽 in JAPAN」田中雄二著 p.100)

http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2007/09/index.html

詩人と各界のゲストが語り合う人間・武満徹

谷川俊太郎が聞く武満徹の素顔の詳細 目次:第1章 武満さんのこと、火星人みたいに思ってた(小澤征爾・指揮者)第2章 作品より、人間のほうが好きだった(高橋悠治・作曲家・ピアニスト)第3章 一〇〇年たっても、残る音楽(坂本龍一・作曲家)第4章 映画音楽のほうが、ずっと前衛的(湯浅譲二・作曲家)第5章 徹さんは、ロックスター(河毛俊作・演出家)第6章 僕の息子の名付け親(恩地日出夫・映画監督)第7章 武満さんは、言葉の人(宇佐美圭司・画家・造形作家)第8章 天秤の棹の長い人(武満眞樹・映画翻訳家・音楽プロデューサー) http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAR67596/

タケミツは早坂文雄名義にも隠れている

佐藤勝も若い頃は早坂文雄(黒澤明の羅生門や七人の侍、生きるなどで有名 この人は他にも武満徹や芥川也寸志などの日本を代表する作曲家を助手にしてる) 永遠に続く作曲家のリレーみたいな物で直系の弟子なんだよ。 早坂文雄→佐藤勝→久石譲→片倉三起也 ↓ 武満徹・芥川也寸志 ↓ 高橋悠治 現にその時に佐藤・武満らが作った若しくはサポートした曲は 早坂文雄名義で発表されているし、 高橋悠治が武満徹のアシスタントをしていた時に作った若しくはサポートした曲は 武満徹名義で発表されているし、 久石が佐藤勝のアシスタントをしていた時に作った若しくはサポートした曲は 佐藤勝名義で発表されている。 アシスタント制やサポートする事は 音楽界の伝統のような物で別に騒ぎ立てる様なことじゃない。 現に世界的に著名な武満徹ですら高橋悠治をアシスタントにしている。 http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/gamemusic/1145270732/1-15

世界のタケミツって武満徹の現象学・学校に飾るに相応しい写真たち

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4b/1e/ochikoboremaru/folder/626190/img_626190_35822934_0?1191143640

http://magicbassoon.at.webry.info/200710/article_15.html http://image.blog.livedoor.jp/yami_yahma/imgs/1/5/15159327.JPG http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD-%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88/dp/4276132746/ref=sr_1_42?ie=UTF8&s=books&qid=1235793511&sr=8-42

世界のタケミツって http://www.yodokon.jp/plaza/23.html

武満徹の人と音楽を知る書籍 http://www.shogakukan.co.jp/takemitsu/all/05.html

武満徹とギターの音楽 藤井眞吾(ギター)武満徹氏がギターの為に書き残した作品はいずれも20世紀を代表する名作の数々です。ギターに対する深い洞察と愛情、そして篤い思いは、精緻を極めたオリジナル作品のみならず、数々の編曲作品からも横溢しています。コンサートによせて ~荘村清志(ギター)・・・今回は武満さんの現代音楽とは別な側面である、「うた」から何曲か眞吾さんがギター二台の為に編曲して下さって、これがとても楽しいのです。徹さんが聴いたらきっと喜ばれたと思います。武満さんの色々な面を(でも深いところでは同じ)お楽しみ下さい。

http://manzana.ne.jp/concerts/takemitsu.html

武満徹の合唱曲・その他あらゆる音楽を手中に収め、自在に創造を続けた二〇世紀を代表する邦人作曲家、武満徹 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chorus/1125924511/l50 http://www.youtube.com/watch?v=hkPWRWHQDbQ http://www.youtube.com/watch?v=51YogqH1ydc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=I9BqooZOJnY&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=8TKGZek2sFA&feature=related

(武満徹の合唱曲、等で検索すると他にもたくさんヒットしますね。。。。)

音、沈黙と測りあえるほどに 「私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。」「私は音を組立て構築するという仕事にはさして興味をもたない。私は余分を削って確かな一つの音に到りたいと思う。」                            ―武満 徹

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2009年3月20日 (金)

ロベール・ブレッソンほか

・或る方から某掲示板に作成したトピックが削除されるかも知れない(継続する意思がない)のでコピーして欲しいと頼まれましたので転載します。

セルゲイ・パラジャーノフ (トピック名)

アメリカのKINO International社が全作品の英語字幕付きのDVDをリリースしており、これらを輸入するという形で作品に触れることは可能である。これらのソフトは最近リリースされた日本版よりも画質の点ではるかに劣るものの、若干編集が異なっていたり、日本ではまず見ることのできないドキュメンタリーが追加されていたりするので資料価値は相変わらず衰えていない。
(Wiki)

ロベール・ブレッソン

ブレッソン監督の映画は殆ど見ていますが、昔、岩波ホールで上映された『白夜』の映像ソフトが、どうしても入手できない。
音楽関係の著作権の問題でヴィデオ化不能というような話を聞きましたが、どなたか、ちゃんとしたソフトを持っている方、いないでしょうか?
超激悪な画質のものならラピッドシェアでダウンロード出来るようですが、あれでは小さいパソコンの画面でなら思い切り小さくして1回は見れますが、大画面ではとても見た気がしない。もしかしたら衛星放送でやったりしたことがあったのか、(地上波では相当昔にやっていたのを見た記憶はあるのですが)どなたかヴィデオ録画したもの(S-VHS以上)とか、または輸入版レーザーディスク等お持ちの方いましたら、応相談です。

小川紳介

日本の映画作家では溝口健二とともにもっとも好きな監督ですが、観る機会の少ない一人ですね。
1967年 - 『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録 The Oppressed Students
1968年 - 『日本開放戦線 三里塚の夏』
1970年 - 『日本解放戦線 三里塚』
1970年 - 『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』
1971年 - 『三里塚 第二砦の人々』(マンハイム映画祭ジョセフ・フォン・スタンバーグ賞受)
1973年 - 『三里塚 辺田部落』
1975年 - 『どっこい! 人間節 -寿・自由労働者の街』
1976年 - 『クリーン・センター訪問記』
1977年 - 『三里塚 五月の空 里のかよい路』
1977年 - 『牧野物語 養蚕篇 -映画のための映画-』
1978年 - 『峠』
1982年 - 『ニッポン国 古屋敷村』(ベルリン映画祭国際批評家連盟賞受賞)
1987年 - 『1000年刻みの日時計 牧野村物語』

フランチシェク・ウ・ラーチル

フランチシェク・ウ・ラーチル監督の『マルケータ・ラザロヴァ』
Marketa Lazarova (1967) - Frantisek Vlacil(1924-1999)
日本ではほとんど知られていないと言っていいような
東欧圏の優れた作品が多数存在します。
グラジスラフ・ヴァンチュラ原作の同名小説を格調高い大作に仕上げ、20世紀チェコ映画の最高傑作に選ばれた作品。
2006年のチェコ映画回顧展1965-1994で上映されたらしいのですが、IMDbでもUser Rating:8.5/10をつけている通り、たいへん
優れた作品と思います。http://www.oeff.jp/article468.html

ミクローシュ・ヤンチョーMiklos Jancso
Meg ker a nep ('Red Psalm') (1972)赤い詩篇 で第25回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。
その他の受賞結果は
パルム・ドール:『黒い砂漠』(フランチェスコ・ロージ)、『労働者階級は天国に入る』(エリオ・ペトリ)
審査員特別グランプリ:『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー)
審査員賞:『スローターハウス5』(ジョージ・ロイ・ヒル)
男優賞:ジャン・ヤンヌ(『一緒に老けるわけじゃない』)
女優賞:スザンナ・ヨーク(『ロバート・アルトマンのイメージズ』)

コンペティション部門
審査委員長
ジョゼフ・ロージー(アメリカ/監督)
審査員
アラン・タネール(スイス/監督)
マルク・ドンスコイ(ソ連/監督)
ミロシュ・フォアマン(チェコスロヴァキア/監督)
ビビ・アンデショーン(スウェーデン/女優)
ジョルジオ・パピ(イタリア/プロデューサー)
登川直樹(日本/批評家)
ジャン・ロシュロー(フランス/ジャーナリスト)
アースキン・コールドウェル(アメリカ/作家)
ジョルジュ・オーリック(フランス/作曲家)

フェレンツ・コーシャ

ハンガリーを代表する映画監督で国会議員のコーシャ・フェレンツさん。コーシャさんは、『一万の太陽』という映画で1967年カンヌ映画祭監督賞を受賞した映画監督であるとともに、ハンガリー革命を経験し、ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった「ヨーロッパ・ピクニック計画」の指導者でもあります。コーシャさんは岐阜との関係も深く、「白川郷」と「正眼寺」(臨済宗妙心寺派の寺院)を撮影したフィルムは未来会館で見られるとのことです。
http://www.gijodai.ac.jp/circ/da/buda/syosai/s_7.htm

ジョナス・メカス

ジョナス・メカス(Jonas Mekas, 1922年12月23日 ビルジャイ近郊のセメニシュケイ村 - )は、リトアニア人映画監督、作家、キュレーター。「アメリカ実験映画のゴッドファーザー」と呼ばれることが多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9

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