作者の視点と叙述形式
~水木毅歩人「ミラレパの夢」をめぐって~
この作品集に収められた四篇を見ると、それぞれ叙述形式が異なっており、作者の視点が微妙に変化して行くようにも見えるが、基本的には一人の日本人が見た現代人の諸相を、少し突き放した視点から冷静に描写したものと思える。
作者は見たところ普通の日本人である。表計算ソフトでグラフィックデザインをやるとか、少し変わったところはあるが、私も色々お世話になっており、ごく普通の日本人だと感じている。(そしてこの本のカバーデザインも水木氏のコラージュ・アートによるものだそうである)
また作品中には一人称で書かれたものもあるが、それも作者の言によると、直截的に自身の体験を基に書いたとか伝統的な私小説の範疇に属するようなものでは無く、独自の方法論により書かれたものであるらしい。
現代人の多くは社畜になることを望んでいるかのようだ。或いは渋々、厳しい現実に妥協しているだけなのかも知れないが、所詮そういうのは車谷長吉氏流に言うと “働き奴”に過ぎない。そして現代日本においてはソフト会社や公的金融機関等で働く神経症気味の課長より、ホームレスの人の方がずっと魅力的なのだ。それが現代日本の現実である。作者はそうした現代人が直面する空虚で退屈な現実を厭と言う程、思い知らされて来た人なのであろう。だから「懈怠」は面白く読めるのだ。
そして一見、水木毅歩人という作家の作品中にあらわれる奇妙な挿話は何の必然性も持たないように見える。だが、宗教的な色彩まで帯びたアンチロマン風の「弥勒」に於いて、カルトの世界同時革命の野望が、イルミナティの中心人物かオウム残党のような老人により、かなりねちっこく語られたり、カルトに操られているかのような“東署の息子”の悪業が暴かれて行く点等、大衆社会を背後で操る何者かのどす黒い意図を感じさせずにはおかない。
また「ミラレパの夢」において、主人公の“私”が心神耗弱に陥って行く有様は、現代人が巨大カルト宗教や悪徳商法に蝕まれて行く過程の暗喩、という風にも解釈可能であろう。
そして「不祥事史」を読むと、菅谷さん冤罪事件は起きるべくして起きたということが、大変良く理解出来るのである。また将来に亘って栃木リンチ殺人事件等にあらわれていた危険な兆候が、より深刻な問題を惹起する可能性への危惧が、率直に述べられてもいる。
確かにこれ等の散文たちはシュルレアリスティックな小説や卑近な現代史の如き体裁をとってはいるものの、優れてジャーナリスティックな精神により貫かれた作品群と呼ぶべきなのである。
(水木毅歩人-きぽじん-「ミラレパの夢」より転載)
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